「良い文章」とは、どんな文章だろうか。
コピーライターになって間もない頃、
当時の上司(ベテランのコピーライター)にそれを尋ねたことがある。
すると、上司は即答した。
「リズムのある文章だよ」
リズム??
もっと、「感動させる文章」とか「人間の本質に迫る文章」とかじゃなくて?
あまりに平易な答えが返ってきたので、思わず拍子抜けした。
というか、リズムを良くするだけなら簡単じゃん。
そう感じてから、はや20年。
「リズムなんて簡単」どころか、
僕はリズムという魔物に毎日悩まされている。
簡単な例を出してみよう。
「男は黙ってサッポロビール」
これは、言わずと知れた秋山晶さんの名作キャッチコピーだが、
改めて読んでみると、リズムがとても良いことが分かる。
手拍子しながら読むと分かりやすい。
「男は(1拍、2拍)」「黙って(3拍、拍4)」「サッポロ(5拍、6拍)」「ビール(7、8拍)」
と、完全に8拍におさまる。
これはどうだろう。
「スカッとさわやか コカ・コーラ」
読んだだけでリズムいいことが分かるだろう。
書き出してみると、
「スカッと(1拍、2拍)」「さわやか(3拍、拍4)」「コカ・コー(5拍、6拍)」「ラ(7拍)」
となるので、「8拍目がないじゃん!」と思うかもしれないが、
7拍目の後、我々読み手は自然に「。(8拍)」を休符のようにカウントしていて、
体感的に8拍が成り立つ。
その休符を含めたリズムを身体的に感じられるかどうか。
もちろん、世の中すべてのキャッチコピーが
これほどきれいに4拍や8拍でおさまるわけではなくて、
リズム重視ではないものも存在する。
ここでしているのは、あくまで「基本」の話。
どんな文も基本的にはリズム良くあるべき、という当たり前の話をしていて、
1行のキャッチコピーですらそうなのだから、
文章として連なっていけばいくほど、さらにリズムが重要になる。
大切なのはリズム。それは分かった。でも、
実際には手拍子しながら文章を書くわけにもいかない。
じゃあどうすればいいかというと、
「リズムを感じながら書く」ということが必要になる。
これがけっこう難しい。
自分が好き勝手に書けるような文章、たとえば日記なら、
誰かに後でチェックされるわけではないから、
どんどんテンポ良く書き進めることができる。
そうやって気持ち良く書けた文章は、リズムがいいことが多い。
でも、仕事で書く文章ではなかなかそうはいかない。
ひと言ひと言に対して慎重にならざるを得ないからだ。
「歴史には、人類の喜怒哀楽がつまっている」
などといったん書き始めたとしても、
「いや、待てよ。『人間の喜怒哀楽』はちょっと唐突かな?
『人類の足跡すべて』くらいに抑えとこうかな?」
などと立ち止まってしまう。
そうやって「意味の世界」に入り始めると、もうリズムは死んでしまう。
「意味の世界」は頭脳の領域なのに対し、
リズムは身体の領域だからだ。
あくまで身体的に心地良く読めるものを書かなくてはいけない。
そのためにどうすれば良いかというと、一つの方法としては、
「とにかくリズム重視でざっと書いてしまう」
という方法がある。
リズムを最優先で、とにかくある程度のボリュームを書いてしまう。
書いた後で改めて、「意味」を重視した修正を入れていく。
これがまずひとつ。
もうひとつのやり方は逆のアプローチで、
とにかく「意味」を重視して一文字ずつ正しい内容を埋めていく。
これは、自分の知識だけで書けないような文章、
たとえば医療について取材して、それを間違いのない文章にまとめるという時に
有効だと考えている。というか、この手の文章は
こうやってビビりながら書くしかない。
では、後者の場合、リズムはどうでもいいのかと言えば、もちろんそんなことはない。
いったん意味的に正しい文章を書き上げたあと、
推敲によってリズムの悪い部分を整えていくしかない。
たとえば4拍で「トントントントン」と読めていた文章の中に、突然
バッドリズムのフレーズが出てくると、途端に心地よさが崩れる。
そういう箇所がないかをチェックするために、
僕は自分が書いた文章を何度も何度も読み返すようにしている。
「リズムから入る」方法と「内容から入る」方法。
2つのアプローチを紹介したのだが、
ここでこんな疑問を持つ人もいるかもしれない。
「良いリズムを刻みながら正しい内容で書けばいいんじゃね?」と。
いや、そうなんすよ。おっしゃる通り。それができれば最高ですよね。
たとえば先日「情熱大陸」を見ていたら、
作家の北方謙三氏の執筆風景というとても貴重な映像が映っていた。
もうね、すごかったすよ。
原稿用紙をドンと積んで、万年筆をひとたび置いたら
サラサラっと書き進めていく。
テレビ局のカメラが近くにいるのに、お構いなし。
おそらく数十分程度は書き続けていたんじゃないかと思うけど、
ずっと集中力を切らしている様子がなかった。
あの数十分だかの時間に書かれた物語は、たぶん原稿用紙数十枚。
その数十枚の内容は、おそらくほぼそのまま小説として本になる。
「内容」も「リズム」も両方そろった文章が、
ああやってどんどんできていくのは、とてつもないことだと思った。
でも、残念ながら、僕にはそれができない。
で、僕以外にもほとんどの人は、
上に挙げた2つの方法のどちらかの方法でないと
「リズム」と「内容」が両立された文章を書けないと思う。
もちろん、少しでも北方謙三のような境地に近づくことが理想なのだが。
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