文章のリズムは文末でつくる

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「リズムの良い文章」を書くために、

絶対におさえなければならないこと。

それは、文末を変化させることである。

まず読んでいただきたいのが、次の広告コピーだ。

コピーライターの土屋耕一さんが書いたものである。

「なぜ年齢を聞くの」

なにも女性だけではなく。
男だって、年齢をきかれるのは、
あまり気持のいいものじゃないんだ。
女の、そして男の、生きていく姿、
それを、すぐ年齢というハカリにのせて
見たがる習慣に、抗議したいと思う。
いま、装いにも、住いにも、
すべて暮しの中から、もう年齢という
枠がなくなりつつあるのですね。
その自由な空気が、秋の、伊勢丹を
やさしくつつんでしまいました。

(1975年の伊勢丹の広告)

「年齢」というものさしで人を測る風潮に

ストレートに疑問を投げかけるのが、前半部分。

そこから「装い」や「住まい」にテーマを広げ、

百貨店としての価値提案につながっていく。

日本が豊かになっていった時代の、

より良い未来に向かっていく感じが伝わるメッセージだ。

当時の先端的なカルチャーを担っていた百貨店らしい広告だと思う。

と、中身の紹介はこれくらいにして、

本稿で触れたいのは「リズム」の素晴らしさである。

特に見てほしいのが、「文末」の多様さだ。

1文目「ではなく。」

2文目「ないんだ。」

3文目「思う。」

4文目「ですね。」

5文目「しまいました。」

なんと、5つも文の文末がすべて違う!

これね、何げないことに見えるけど、

めっちゃめちゃ高等な技術が詰まっているんすよ。

まず1文目の「なにも女性だけではなく。」からすごい!

普通は「だけでなく、」とテンで区切るところを、

あえて「だけでなく。」とマルで区切っている。

会話の中でいったん話を止める感じ。

読み手を「ん?なに?」とつんのめるような感覚にさせることが、

この1文目のねらいだと思う。

2文目の「ないんだ。」のきっぱりとした意見表明の強さ。

3文目の「抗議したいと思う。」とまで言うメッセージの強さ。

(百貨店の広告なのに「抗議」って!)

と思わせておいて、次は一転、

4文目では「ですね。」と共感を引き出す。

5文目は「自由な空気」にまで視点を広げて美しくまとめる。

今回、「文末表現が多様な例」としてこの広告を取り上げたが、

これは僕の発案ではない。

鈴木康之さんというコピーライターが1987年に書いた名著

『新・名作コピー読本』に同様の意図で紹介されていて、

それを思い出して今回取り上げさせていただいた。

(本を持っていたのだけど昔の会社の後輩に貸したまま

返ってきておらず、僕の手元にはない。

そのため今回、鈴木さんの解説を読まずに本稿を書いている。

鈴木さんの解説とは違うトンチンカンなことを

書いてしまっているかもしれないが、そうだったらごめんなさい)

とにかく、

文末の多様な表現が文章全体にリズムを生むということが、

土屋耕一さんのコピーから分かると思う。

でも、名人の仕事を見て「すごい!」で終わっては意味がなくて、

ここから学び取ったものを自分で再現しなくてはいけない。

実際に、どのように文末を変化させれば良いのだろうか。

・第1ステップ 体言止めを多用する

○○します。

○○します。

○○します。

このように、同じ文末表現が続く文章を書く人がいる。

この段階の人に対してよく言われるアドバイスが、

「体言止めを使え」というものだ。

「健太郎は東京出身。

幼い頃から田舎暮らしに憧れていました。

その願いが叶ったのが、小学6年生の夏。

友だちに誘われて、彼の祖父の家に滞在することになりました。」

このように、「体言止め」→「ですます」を繰り返すスタイルは、

あまり書き慣れていない人の文書によく見られる気がする。

・第2ステップ 体言止めを使わずに文末を変化

体言止めで文を終わらせるのは楽だが、

「体言止め」→「ですます」が繰り返されると

同じリズムが続くため、結局単調になる。

なので、上で紹介した土屋耕一さんのコピーのように、

体言止めを使わずに

文末を変化させることがベストということになる。

でも、これが難しい。

健太郎は東京出身です。

幼い頃から田舎暮らしに憧れていました。

その願いが叶ったのが、小学6年生の夏です。

友だちに誘われて、彼の祖父の家に滞在することになりました。

ここまででも悪くないが、

「です」「ました」「です」「ました」

という繰り返しになり、少し単調さが残っている。そこで次のステップ。

・第3ステップ 文の構造自体を変えて文末を変化させる

健太郎は東京出身です。

幼い頃から田舎暮らしに憧れていました。

その願いが叶ったのは、小学6年生の夏でした。

友だちに誘われて、彼の祖父の家に滞在することになったのです。

と直せば、1行目と4行目の文末が「です」で共通するものの、

前の例よりはリズムが出てくる。

以上の例では特に必要なかったが、

時には、文末変化のために文の構造自体を変える必要もある。

極端な例を出すと、

私の名前はスズキです。

生まれた県は三重県です。

父の職業は公務員です。

母の職業は自営業です。

のように同じ構造の文が連なるケースだ。

このとき、「文末」の連なりが単調だからといって、

そのまま文末を「です」「ます」「です」「ます」

と変えれば良いかといえば、それは不可能だ。

私の名前はスズキです。

生まれた県は三重県ます。

父の職業は公務員です。

母の職業は自営業ます。

などと書くことはできないからだ。

そこで必然的に、2文目と4文目の構造自体を変えることになる。

文末のバリエーションを出すためには、

文の構造そのものにバリエーションを持たせる必要がある、ということになる。

私の名前はスズキです。

私は三重県で生まれました。

父の職業は公務員です。

母は自営業をしていました。

などと変えれば、違和感がなくなる。

文末を多様化するためには、文の構造自体を変えることも必要になるのだ。

「文末」が多様な文章を書くことによって、

文章そのものが単調ではなくなるということが言える。

その結果、よりリズムが良くて分かりやすい(面白い)文章になる。

だから、僕たちは「文末」に徹底してこだわる必要があるのだ。

最後に土屋耕一さんのコピーをもう一度読んでほしい。

ここまでわかった上でこのコピーを読めば、

文の構造がいかに多様で、全体がリズミカルであるかを

感じてもらえるだろう。

「なぜ年齢を聞くの」

なにも女性だけではなく。
男だって、年齢をきかれるのは、
あまり気持のいいものじゃないんだ。
女の、そして男の、生きていく姿、
それを、すぐ年齢というハカリにのせて
見たがる習慣に、抗議したいと思う。
いま、装いにも、住いにも、
すべて暮しの中から、もう年齢という
枠がなくなりつつあるのですね。
その自由な空気が、秋の、伊勢丹を
やさしくつつんでしまいました。

(1975年の伊勢丹の広告)

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